しょうゆメモ

ある街に、いつも食卓に醤油を置いている家がありました。

その家では、いつの頃からか(先祖代々?)出てきた食べ物には
何にでも醤油をかけるという習慣がありました。

その家で育った裕子さんも、当然のごとく何にでも醤油をかけます。
卵でも、カレーでも、プリンやケーキにも醤油をかけます。

子供のころから、家族のみんながそうしてきたし、
それが当たり前だと思っていたから。

小学校の給食にも、いつも魚の形の容器に入れて、
醤油を持っていっていました。

先生やみんなから、不思議がられたり、変な扱いを受けましたが、
裕子さんは、逆にみんながどうして掛けないのか不思議でした。


だから、裕子さんにとっては、すべての食べ物が塩辛いものでした。
だから、「甘いもの」や「まろやかな」ものがあることさえ気付きませんでした。


年頃になった裕子さんは、彼氏から言われました。

「今まで我慢してたけど、何にでも醤油をかけるのはやめてくれないか。
 こうやって美味しいケーキを買ってきたんだから、甘さを楽しまないか」


裕子さんは、何を言われているのかわかりませんでした。

「甘さって何? 見たことも食べたこともないわ!
 どうして醤油をかけたら駄目なの??!!」

 前から思ってたけど、私も言わせてもらうわ。
 どうしてあなたは、醤油をいつも持ってないのよ!!」


裕子さんは、自分を否定された気がして、とても悲しく感じました。
そして、そこから裕子さんの行動が変わったのです。

(いいわよ、じゃあ何にでも醤油をかけないでいるわ)

裕子さんは、天の邪鬼になって、極端な行動に出ました。


お刺身も、醤油をつけない、卵かけご飯にも醤油をかけない、
焼き魚や焼き海苔、煮物を作る時にも醤油を使わなくなりました。

そして、どうしてここの料理はこんなに美味しくないのよ!!
と、毎日のように怒っていました。

「ちょうどいい」というものが、わからなくなってしまったのです。

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話しを最初に戻しましょう。

裕子さんの育った家庭では、何にでも醤油をかける文化でした。
だから、「すべての食べ物には醤油をかけるものだ」と信じて疑っていませんでした。

だから、見た食べ物すべてに、醤油をかけます。
それが「常識」「当たり前」「信じて疑わないもの」だったのです。

そして、これが「ゆるぎない大前提」であり、
そして、これが「裕子さんだけの現実」であるわけです。

目の前の「出来事」すべてに「醤油という自分の価値観を混ぜる」

その結果、「自分だけの醤油味の現実」が繰り広げられます。


すべてがそう「見える」。それが、現実だ。



彼が浮気しているはずだ、という目で見れば(疑いの醤油をかければ)
彼の言動のすべてが、疑わしく見える。


自分はつまらない人間何だ、という目で見れば(つまらない醤油)
他人の何気ない行動が、すべて自分がつまらないんだと思わせられる。


あの人は私を避けてるんだ、という目で見れば(避けてる醤油)
mixiのコメントが減っただけで(やっぱり避けられてるんだ)と感じ始める。


目の前の現実を、醤油をかけた目で見れば、すべてが茶色に見えるし、
目の前の現実に、何にでも醤油をかければ、すべてが塩辛くなります。

それに、醤油をかけたほうがおいしくなるものもたくさんあるのです。

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  これは、こういうものだ
  これは、こうであるはずだ
  これは、こうするべきだ

これを、「思い込み」とか「先入観」といいます。

それは、誰かから教え、刷り込まれてきました。
目の前の現実を見るときに「醤油をまず掛けるんだよ」と教えられてきました。

  「醤油をかけたほうがおいしいんだよ」
  「醤油をかけるのが普通なんだよ」
  「醤油をかけないと、失礼なんだよ」
  「醤油をかけない人は、悪い人なんだよ」


さらには、誰かから

「あなたは、醤油みたいな女だよ」と言われて、
そう思い込んでしまった人もいるかもしれません。

そう「大前提」が間違っているのです。



間違った大前提の上に、
いくら努力しても、もっと大きな間違いが拡大するだけです。

勘違いが加速するのです。

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自分の「べき」に反する人が「苦手な人」です。

「なんであなたは、醤油をかけないの!!!」と嫌な気分になります。
これが「自分だけの制限・自分だけのブレーキ」です。

逆に

「そう、あなたは、私と同じ醤油をかけるよね、素晴らしいわ」

というのが「好きな人」「憧れる人」です。

「そう、あなたは私と同じ味覚を持ってるから素晴らしい」なのです。


その自分と違う価値観を持った人、自分と同じ醤油をかけない人を許すワークが、
前回ご紹介した、「無意識のブレーキを見つけて外す方法」なのです。

それが「まだ許せない」「それはおかしい」という気持ちが強いと、
すごく嫌な気持ちになるのかもしれません。


「醤油をかけてもいいし、かけなくてもいい」

今までは、「醤油をかけないとだめ」「かけるべき」
もっと極端にいえば「醤油をかけないと怒られる・嫌われる」でした。

それを

「醤油をかけるのも、いい」「かけないのも、いい」と、
どちらにも○(マル)をつける。

そして、自分で「選ぶ」ことができるのです。


繰り返しやってみてくださいね。




あなたは、目の前の出来事に、どんな醤油をかけていますか。

目の前で嫌な出来事、なにかを疑いたくなる「はずだ」な出来事を見たとき、

 「これは私が勝手に醤油をかけているだけかもしれない」

そう思って見ててください。  


「あれ、勘違いだったんだわ」という出来事が、次々に起こりますよ。


読んでいただけました?
ありがとうございます。


では、その方法をお話しします。



 ・あの人を怒らせたかも
 ・あの人は私を嫌っているはず
 ・これをやったら、きっと失敗する、笑われる
 ・この飛行機は落ちる
 ・自分はきっとひどい目にあう
 ・また責められる
 ・こんなことやって(言って)いいのかなぁ



そんな風に不安を感じたら


 「これは醤油だ」

 「これは醤油だ」

 「これは醤油だ」


と唱えてみてください。はい、馬鹿みたいですね(笑)
馬鹿みたいに効きますよ♪



僕たちは、馬鹿みたいに過去から来る不安におびえます。


それを証拠に、それを見ていた関係ない人は


「そんなことないよー」
「そんなの思い込みだよー」

と言います。


でも、本人は、過去の亡霊に囚われているので怖い。
そう、過去の幻想にとりつかれているだけなんです。


だから


「これは醤油だ」(思い込みだ・過去の経験だ)
「これは醤油だ」(思い込みだ・過去の経験だ)
「これは醤油だ」(思い込みだ・過去の経験だ)


「これは、醤油だ」
「これは、醤油だ」


「こ・れ・は、醤油、だ!」


というつぶやきが効くんです。
何度もつぶやいてみてください。



するとどうなるか。



「あ、思い込みだったんだ」という現実が、
目の前にやってきますよ。


今のところ、僕は百発百中です。
ぜひ試してみてくださいね。