きがつくと

今好きなディスクを選んでみました。


あ、これ自分の考えを整理したくてただ思いついたことを推敲などするきもなくただ書き連ねただけなので、もしここから読んでしまって疲れた方がいたらごめんちゃい。

実家に住んでることもありスピーカーの数が大変なことになっている。数えてみるとひとつふたつみっつ…よっつ…。4ペアもある。もちろん部屋にはひとつしか置かないけどこの執着心はなんなのだろう。よくネットでオーディオマニアという人種の部屋の様子などがアップされているのだけどこういう人々(僕も片足突っ込んでる)は凝りもせずどんどん機器を集めてしまうようだ。

ここになにか屈折した欲望がはけ口となってはいないだろうかとよく考える。最近この問題を真剣に考えてみた。そしてどうやったらその執着から逃れられるのかひとつひとつ頭の中にピックアップして整理していった。それではじめて(音楽の本質は慣れといいながら)無理をして1部の苦手なジャズの音を鳴らそうとしている自分にきがついた。誰かのトランペットの吹き方が嫌いなのは、スピーカーが悪いからだ、と万事がこの調子では確かにキリがない。ここで僕はようやく「好き嫌い」の意味を理解したのかもしれない。本質にはなにかあるのかもしれないし名盤と言われるものはやはりそれなりの素晴らしい音楽性をもっているのだろう。けれど一度白紙に戻してから(ジャズの好き嫌いは100枚ききこむまで言うなという言葉を思い出しながら)、ほんとうに心から好きと思えるディスクだけをジャンル関係なくきくことにした。するとオトには耳がいかず、やはりメロディーやアンサンブル、楽器のバランスでオンガクをきいていることに気が付く。

端的に言うと優しい音色がすきなのだ。それがようやく分かった。ホーンはやはりうるさい部分もあるのです。先日とあるショップでかかっていたエレクトロニカなんかもすごく心地よいし、現代のスムースな録音のジャズもなんだかんだ言って好きなのである。趣味嗜好を語るときやはりその時代背景と自分を照らし合わすことが絶対必要になるのだと今更きがついた。よいものは時間を超えていい。たぶんそれは真実だ。でも故安原顕氏の言葉を借りれば

ドストエフスキーが素晴らしいのが当たり前なのよ。そこには普遍が書かれているのだから。でも毎日読んでると、流石にツライ。というのは当時とは時代背景が相当違うからね、それで仕方なく村上春樹なんて取り出してみる。それとおなじことがジャズにも言えると思うのよ。」

おぼろげながら確かこんな言葉だったと思う。うん。きっとそういうことなんだな。名作全体を眺める作業も必要なのかも知れないけど、そこから先は好き嫌いでいいのだな、そう思うと急に楽になったのです。音が苦でどうする。音楽でなくては!

そうやって僕はCDラックのジャズを「今、好きな物と嫌いな物」に分けようと思う。そうしてまた考えよう。

あ、これ自分の考えを整理したくてただ思いついたことを推敲などするきもなくただ書き連ねただけなので、もしここまで読んでしまって疲れた方がいたらごめんちゃい。