サマリー

神経症患者の音楽の聴き方には強固な偏りがある。
・偏りを見つける作業からはじめる。
・CD棚を見渡して共通する何かを見つける。
・必然的に全く聞かない分野の音楽が見つかる(=CD棚には無いものの事)
・「全く聞かない分野の音楽(=CD棚には無いものの事)」を積極的に開拓し聞くことでその偏りを治す。

以上は受動的音楽療法の中のひとつ。
能動的音楽療法というものもある。楽器演奏。踊る。など。
より詳しく知りたい方は、コチラなど参照してみるのもよろしいかと思われます。

 決してそれを批判するものではない事を前もって書いてから。
 僕の大好きなサイトでよく話題になるバンドの音楽をきいたのです。それと同時に過去の自分がよみがえりました。例えばレディオヘッドの3rdのどうしようもなく暗い音や心をえぐる詩に浸る心地よさというものをかつての僕もしていたので知っています。
 ところで僕は大学音楽療法勉強していました。そこでひとつ学んだ事は神経症患者のきく音楽ジャンルには特に偏りがあること。そしてアルトシューラーの同質の原理と言って自分の精神状態と同じ気分の音楽をきくことによってカタルシス(魂浄化)を行っている事。そしてこれらの神経症的音楽聴取を治療する為には自分のCDラックを見渡して共通する何かを見つける事から始めます。例えば男性ボーカルばかりだ。感傷的なものばかりだ。そして特にジャンルは関係ないのですが、嫌い、苦手な音楽が必ずといっていいほどあります。それは神経症患者に特有のものではありませんがこの傾向が強いのが神経症患者のそれです。未知の分野を開拓する事によって神経症的性格が治る可能性があるというもので、アメリカ的楽観主義療法とも言われました。
 しかしてこの知識を得た僕はしばらくこのことを忘れていたのですが、病に伏せっていたある日このことを思い出したのです。 その頃それまで会ったことのない様な知識人と出会う機会がありました。他者との出会いで自分の圧倒的な無知を知ったその反動から、いままで聞いてきた音楽とは別のものをきいてやろうと思ったのです。そう察しのいい方はお気づきの通り僕にはそれがジャズだったのです。
 管楽器の音が大嫌いでした。ピーヒャラうるさい。ジャズ、というとがちゃがちゃしたイメージで聞く前から(ピアノは好きでした)嫌いだったのです。ロックに入っているホーンの音すら駄目でした。

 それでどうなったか?この音楽療法だけで神経症気質が無くなったとは思いません。しかし一つのターニングポイントであった事は確かです。

 感傷的に過去を振り返らず絶望することもなく、今その瞬間にかけるジャズという音楽の性格が多少なりとも性格矯正に役だったとは思っています。もちろん今はそんな事を考える事も無くジャズを中心に置きながらもいろんな音楽を楽しんでいます。まだR&Bやソウルなど少し苦手な分野もありますが、別に完璧を目指す事も無いので、音楽的治療効果があったと仮定してもそれはロックからジャズに飛び込んだだけで完了したように思います。

 もう一度繰り返しますがロックやジャズの優劣を語っている訳ではないのはもちろんの事、音楽ジャンルをどうこう言うわけではありません。たまたま僕が学んだ簡単にできる音楽療法をなんとなくここで紹介したかっただけなのです。

 趣味をあなどるなかれ、という言葉はこういった人間の精神の深い部分と気が付かないうちにリンクしている事実から生まれたというのも一つの理由かと推測します。


 今日は、少し気が滅入る事が続いたのですが、miles davisの「My Funny Valentine」(amazon試聴可)をきいた瞬間吹き飛んでしまいました。

 この盤をきくたび嗚呼、美しい優しい素晴らしいカンオケ盤だなこれは、いつもここに戻ってくるなあ、と音楽というものの力強さを思わされます。