ところで音楽にとって同時代性というのはとても大事なんじゃないかと最近は思う。たとえばDCPRGをきくならマイルスのアガルタ・パンゲアをきけばいい、とか、フリッパーズをきくならアズテックカメラを、とか、くるりをきくならかれらが尊敬してやまないかつてのUKロックたちをきけばいい、という話は半分あたっていて半分まちがっている。現代感覚でよみがえらせるという事も大事なのだきっと。なぜならぼくらは現代に生きているから。

 漠然と世代に関わらず永遠にかわらず繰り返される20代という時代、いま現在、個人の歴史での通過地点に過ぎない20代という意識etc。ひとことに時と言ってもいくつもの感覚があるにちがいない。

 50年代や60年代が、なつかしさを感じ取れるさらにむこう側のタイム感覚で新鮮だったとしても、そればかりきいているとどうも自分がカビくさくなったような気がするのはアート性に関わらずその作品が50年昔の時代感覚をも含んでるからじゃないかと思う。

 僕の感覚ではポピュラーミュージックでは10年前くらいまでが今も感じ取れるぎりぎりの時代感覚なのかもしれない。いま個人的に面白いと思えるものに93年制作以降のものが多いのは偶然とは思えない。もちろん10歳の子が10年前の時代感覚を感じ取れるかどうかという個人の歴史的問題も無視できないけど。

 以上は昨夜眠れずにぼんやりと考えていたこと。