お便り紹介(9/28)

実はもう長いこと音楽聴いてません。 大学時代は毎月音楽雑誌買ってたのに。やっぱり10代の頃のような没入は二度と得られないでしょう。 それはもう音楽によって埋めるべき何かが無くなったのか、或いは音楽では埋まらない何かを抱えている為なのか、 どっちかは解らないですけど。 確かに聴かないですめばそれに越したことはないと思うんです。 「呼吸するように常に音楽を必要とする」とか言う人もいますが、 それってデフォルト時のコストかかりすぎですよ。(30代男性)

やはり同じような考えの方いらっしゃいました。僕は下↓のように書いたけど、その後もお茶を濁しつつ(?)音楽をボチボチきいています。

というより音楽をきいていたかったので、オーディオのほうからアプローチをしました。12cmフルレンジを専用ボックスに入れて鳴らしてみました。これが、なかなか良かった。
これを言うとどこまでが音でどこからが音楽か、みたいな話になってしまうのですけども。

なんとなく時間があるうちは音楽きけるのかな、とも思います。今みたいな状況でも忙殺されるとあまりきけなくなるしきかなくなるような気がします。

それとコストは、金銭的には図書館など使えば削減できるかもしれません。エネルギーや時間はかかりすぎですね、その通りだと思います。

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あくまでも自分の場合、音楽をきくときは常になにかを埋める補填装置として働いていたとおもうのです。逃げ込むのに容易な場所だったから。しかも鑑賞というのはとても受動的。

さいきん音楽をきいてもきいてもこころ打たれない。惰性できいている気がするのです。

音楽をきくとき常に気にしているのは自我への上書きが行われる音楽なのかどうか。

こころの治療が終わったことによってこんなところに影響が?!。

結論を言うと
”音楽をきいてても心から楽しめないし、もう必要ないのではないかと思いはじめている”
けどそれはただ飽きている時期なのかもしれないとも思いたい。

音楽のない静かな時間のほうがこころ落ち着けるような気がするのです最近は。静寂こそ最上の音楽と言った人が昔いたし、実際に音楽をそれほどきかないで生活している人は実はたくさんいます。例えば先日、友人夫婦の家を訪れたとき、テレビしかなかった。CDをきくのはごくごくたまに、車かパソコンで、という感じでした。

音楽をきかないでも基本的人生はやっていけるし、気持ちのままにしておこうと思います。またききたいときはきくし「音がないと寂しい」ような時はBGMとして流すだろうしね。ただ惰性でつきあうのだけはやめようかな…。

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「朱に交われば赤くなる」ということわざがあります。音楽やレコード、そしてCDは微妙な影響を私たちに及ぼすものです(時には微妙以上の影響を及ぼすこともあります)。日々つきあう音楽が、私たちの態度や期待を形成するわけです。その影響力はあなたの想像をはるかに上回るものがあります。

現在、あなたは何にエネルギーと関心を注いでいますか?そのものごとをよく見てください。そして「なぜ?」と自分に問うてください。もっとあなたのためになるものごとを探し、調査の機会を持たれてはいかがでしょう?今、あなたには惰性でおこなっているものごとがありませんか?でしたら、そのモノゴトをやめることをオススメします。あなたの人生により豊かな富と充足をもたらす鍵は、現在の趣味を早急に見直すことにかかっています。

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僕の音楽の、製品として保証された効用は、大した数ではない。沢山バンドをやってはいるが、せいぜい二つか三つだろう。あらゆる痛みを抱えている人は、いつでも来て欲しい。僕は滑らかなメロウトーンから、豚が屠殺されたような音までを使うが、それが失恋性の痛み、孤独性の痛み、罪悪感性の痛みに効くことを経験的に知っている。自分で度重なる人体実験もしているので、製品としてはまあまあ責任が持てるレヴェルにあると自負している。 (菊地成孔