体力がた落ち。
ハロワク返りに図書館へ行ってディスクを何枚か。ジョシュア・レッドマン、ケニー・ギャレット、ロン・カーター、山下洋輔、EW&F、カラヤンのペールギュントなど。
その後、公営の陸上競技場で走ってきました。走るのってやっぱり楽しいなあ。こうやって競技場で走るのは本当に高校生以来だから10年ぶりだー。
求人情報で面白かったのが「過去に運動大会などで優秀な成績を残した方など優遇」。はじめて昔スポーツやっていて良かったと思った瞬間。
つうても今は体力年齢50歳くらいのような気がするので、週に2回くらい、ランニングを習慣にできるといいなあ。
今日は400mトラックを3周。ウォーミングアップペースで800m,ウォーキングを400m。これでもめまいがした。
最終的には2〜3kmをマイペースで走るのが目標。
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マンハッタンまた忘れてたーー!ギャーース!
先日書いたようにまたクラシックが楽しくなってきまして、前回のマイブームの時は基本の名演集ばかりをきいていたので、
今回は好きな演奏さがし。
以下うろおぼえ。
シューベルト幻想曲 アンドリュー・シフ(ECM)00年 ECMは好きなレーベルなのかもなあ。
アルゲリッチ・パールマンによるベートーヴェン、ライブ98年録音。
アルゲリッチ・マイスキー・クレーメル・(ヴィオラの人)による02年録音盤。
ピアノとヴァイオリンのデュオというのでしょうか、が今は好きなようです。
カザルスの無伴奏バッハ→マイスキーのおなじものをきいて、ウームとうなっていたのですが、この02年録音ではスムースにきけました。
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クラシック雑誌を読んでいて、とにかく「現代感覚」を大事にせよ、と書いてあり、なるほど、と思ったのです。
クラシックは大元に大作曲家がいて、それを常にその時々の感覚でよみがえらせてきたからこそ、ここまで長く続いているのであり〜、
といったくだりはとても納得できました。
比してポピュラスやジャズというのは、その時代に最高潮に達した時点で完成されているのであり、そこがクラシックと異なる。と
この筆者は結んでいました。
たまたま昨夜読んだ、寺島靖国と故安原顕の対談集では、いわゆる50-60年代のジャズは素晴らしいけど、彼らにとってはリアルタイムで
きいてきたものであって耳タコで、今は先のクラシックの著者と同じように、オーソドックスなジャズを新人に現代感覚で演奏してほしい、との事でした。
でも、そこまで書いておいて故安原氏は「そうは言っても50-60年代を超えたものなど1枚も無い。」と言い切っています。
これはとても難しい問題で、個人的にも何度も考えるが答えなど出ません。
古典小説と現代小説を比べるようなものかしら、とも思います。描かれる世界に普遍が織り込まれておれば、それはずっと読まれるだろうし、
かといって現代に生きている僕らには、そういった古典の世界の風俗は古すぎるという問題点も出てくる訳で。
あるいは、はじめて聴いたり見たり読んだりするものが、たとえ客観的位置づけにおいて陳腐なものだったとしても、
これからそういった世界をのぞいてみようという人に(特に若者に)とっては、とても大事な意味を持つだろうという事です。
それは、その時代が持つ力であり、仕方がないのかもしれない。
ごくごく個人的に言えば、常にリアルタイムで新譜を待ちわびるアーティストがほとんどか全くいなくなってしまったのはなかば事実です。