夕焼けのチャーリーパーカー

花火で帰途、渋滞に巻き込まれた先日の渋谷帰りに不思議な体験をしたので書いておこう。渋滞といってもスキー帰りとかほどの酷いものではい。といっても「発作がいつ起きても逃げられる状況」から車に乗ることによって移動する手段を得たのに、渋滞はそれをはばむ1番やっかいな現象かもしれない。

のろーりのろーりとぐっちーがアクセルとブレーキを繰り返す中、花火会場を過ぎて少し空きはじめたところで、車載してたぐっちーのipodから流れたのはチャリー・パーカーwith ストリングス。疲れてもうろうとしながら見上げた夕焼け空、すすむ車の中で流れたパーカーのアルトに涙を浮かべてしまった。

ジャズの凄いところは、決して扇情なところなど全くないのに(特にパーカーは)、身体感覚として心身が反応してしまって、ただ感動、という状態に陥る時があることである。センチメンタルも何もなく、いきなり、ただ淡々と身体を直撃するのだ。(例えばそれは、僕が失恋の痛みをやわらげたくて聴きまくった、くるりのワールズエンドスーパーノヴァが、後からきくときにどうしても、その時の別れた痛みとか情感を伴うのに対して、情感を音楽に伴わないという意味デス)。曲に感情移入しないのに、ということか。

知識が先行してパーカーは神、凄い、ということになっているが、こういう体感をもって同じ感動をえた人がいたらぜひ知りたい。ここにこそ言葉に還元できないジャズのサムシングがあるような直感がするからだ。