音楽は万国共通ってホントウか?

たぶん、僕らはこれだけの情報化の社会にあって、異なった国の文化の音楽を理解することを、わりと容易と捕らえているのではないだろうか。しかし、土地や環境から生まれた文化てのはそこのアイデンティティそのものであって、異なった文化圏の人間が容易に理解できてしまう類のものなのだろうか。外人が例えば、日本というとやたらと寿司、寿司、富士山と言ったりすると、日本の文化はそれだけじゃねえ、もっと深遠なものもあるんでえ、と言いたくもなるだろう。それと同じ程度の過ちをおかしているんじゃないかと常に疑う。黒人が強いられてきた奴隷制から生まれたブルーズをはたして、ぼくらに理解できるのか?その系譜にあるジャズを理解できるのか。

音楽の本質は慣れ、といったのは黒田恭一氏だが、そこにはそういった外国音楽を長くきくことでえられる勉強の成果と、とらえるくらいが無理がないのかもしれない。